2020/01/19 ストリートファイター5が上手くなることに意味があるのか

9時に一度起きたが、朝食を食べたあと寒くて、また布団の中に入ったら2度寝してしまった。起きたのは13時。起きたら、いつもどおりPCを立ち上げ、ストリートファイター5を起動する。勝ったり、負けたりしている過程で、失っていた感情が湧き上がる。「なにその連携」「いま投げ抜けボタン押してましたー」「ラグっ」「なにしていいかわからん」「この前ステは小パンではとめられませんー」「さあ択るぞ~」とか。ストリートファイター5が上手になっていくことによって得られるものはない、たかがゲームだと思っていたが、これ上達していけば配信のコメントでわからないところを聞いたり、共感したりして、同じ趣味で楽しみ合うことができる仲間ができるな…ということを発見した。依存や課金、浪費という負の面だけではなくて、仲間づくり、競い合う楽しみを味わうことができるという正の部分もあるのだ、ゲームをやることは人生の浪費ばかりではない。

本当は、論理力が求められるゲームが上達していって、ゲームをプレイすることで、論理力も上がるし、仲間もできれば言うことはないのだけれど、論理力が要求されるゲームは、論理力が低い自分には面白くない。将棋をやってみた。麻雀をやってみた。遊戯王をやってみた。マジック・ザ・ギャザリングをやってみた。よく分からない。分かりたいという気力が湧いてこない。面白くないから、続かない。だったら、自然と続けられることで無理なく仲間を作るという選択肢をとる。オンラインゲームを続けていけば、配信とか、動画投稿もやるようになるだろう。ゲームに使う時間を勉強に使えれば、さぞかし学力は上がり、人から一目置かれる日がぐっと近づくだろうが、トレーニングばかりできるほど自分は強くないので仕方がない。

自分の処理できる量があって、限界値がある。限界値ぎりぎりまで毎日やるなんてできっこない。限界値にまったく届かない、ちょっとしかリソースを使っていないのが毎日のほとんどだ。トレーニングが、基準値を超えている良いトレーニングだったかどうかは記録と結果によって分かる。まず、記録を毎日とることから初めて、徐々にスキルアップしていって、定期的にチェックしてみる。週毎月毎に、何kmウォーキングできたか、どれだけ勉強できたか、集計して集計結果を振り返ってみる。悩んでいる人は、自分の記録という人生のGPSを頼りに日々生きていったほうが良いとひきこもりの自分は思った。