2020/01/18 通院日

今日は精神科へ通院してきた。伝えたことは、食事を自分で作りたいということと、就労移行をやめたということ。高いLDLコレステロールと下痢の原因が家族が提供する食事だということが血液検査の結果はっきりと分かった。毎日、家庭から配給される食事には、野菜があまりにも不足していた。精神障害者なのに、野菜を食べないなんて、自傷行為だ。入院して、筋力が落ちた人ならなおさら、食事には気をつけないといけないのに、家族が好意で毎日だしてくれるものを断りづらかった。実際に言ってみたらすんなり通った。どうぞどうぞという感じであった。気持ちがだいぶ楽になった。

自分は他人にこうしてほしいと主張する力が弱い。力技で強引におい、やめろよっていえる精神力があるわけではないし、かといって、お互いの感情を逆立てないように交渉するなんていう方法も思いつかない。よく、ここは「はいわかりました。」って言っておけばスルーできるからいいやってなってしまう。交渉する力が弱いのは、IQが低いということ。IQの低さをあまり自覚して生きてこなかった。見えないようにしていた。自分が理解している自分は、補正がかかってパラメーターが実際よりも高く設定されていることが多い。それは、心の保護機能なのだろう。しかし自分も、昭和生まれ、如何に保護機能が自分のパラメータをマスクしようが、現実という鏡を通して、実際のパラメーターは分かってしまっているのであった。WAISでもIQ低めだと結果がでたわけだし。

いろいろなことができないと、この人はなーんにもできないと認定されてしまいそうになる。その強力な力に負けてしまいそうになる。IQが低くても、その場その場の対応で負けることが多くても、資格であったり、継続する力という強固な防御陣地を構築することによって、自分を守るのだ。自分の人生を豊かにしていくのだ。短距離では戦うと負けるので避けたほうが良い。戦うなら長距離だ。長距離は、ゆっくり走るほうが長い距離を走ることができる。実際に、走ってみると、体がいつもこのことを教えてくれる。体を鍛えると、こうしたほうが良い、ああしたほうが良いというフィードバックが返ってくるということは、自分の体を鍛えよう、自分と対話する時間を増やそうということだと思う。自分と対話するツールとして、瞑想とか、お経を唱え続けるとかで入っていける人は、そのツールを使えば良いと思う。自分は走ることでしか、自分が心開いてくれない。自分の中に入っていけない。