2020/01/22 キャベツの芯を切ろうとして、包丁で指を切ってしまった
キャベツにサバ缶をいれた料理が簡単にできてかなり美味しい。
キャベツ+サバ缶だけではなくて、キャベツ+シーチキンでも試した。まあまあ美味しい。
今度は、キャベツ1玉まるごと使って作り置きしておこうと思って、キャベツの芯を切ろうとしたときにアンバランスな位置にあった芯の下にあった自分の指を切ってしまった。切った瞬間ざくっという手応えがあった。0.5mmぐらい包丁が入った。血がポタポタポタポタ流れてきて、なかなかとまらなかった。絆創膏を探したが、そんなものはなかったので、キッチンペーパーをぐるぐるまきにして、血を吸い取らせ、料理を続行した。キャベツをレンチンするだけだったし、血がキッチンペーパーによって垂れ落ちないようになったので、料理は無事完成した。フライパンが小さくて大量生産できないので、キャベツをタッパーに入れて、レンチンで、大量に作ったのだが、フライパンで炒めたほうがよほど美味しい。炒める、レンジでチンして作るという調理方法のちがいだけで、味って結構変わるのだなと学ぶ。レンチンは大量に作れるけれど、まずい。フライパンは少量しか作れないけれど美味い。もっと大きな調理器具がおければよいのだけれど、キッチンスペースが狭いので仕方がない。
精神障害者かどうか見た目では分からないと言われているが、精神障害の重い人は肥満なので、見た目でわかる。太っていたら、精神障害者の可能性が高い。精神障害者の食生活はとても貧しい。食べるお金がないのではなく、入院によって基礎代謝を落とされてしまうので、いつもカロリーを多く摂取することになる。また自炊する人も少ないようだ。スーパーの弁当などの既製品で済ましたり、カロリーメイトなどの、インスタントな栄養補助食品を主として食べる人もいる。既製品はどれも高カロリー、低栄養なので、退院後の基礎代謝の落ちた体には、カロリーが高すぎる。なので、太る。運動をしない人も多い。精神障害者は生活習慣病に苦しむ人達だとも言える。
youtubeの料理動画を自分で実際に作ってみて、美味しくできた料理を障害者飯として紹介してみたら、アクセス数稼げそうだなーとちょっと思った。撮影、編集ができるようになると、楽しみが増えそう。まあブログを毎日投稿するだけでも結構大変なので、文章レベルが向上したら、次のステップとして。今はブログを続けることが大事だと思う。
2020/01/21 今日はずっと憂鬱
寝ているのが気持ちよくて起きたくないという過眠癖でて、14:00まで眠ってしまった。睡眠中、うつになり、起きた後も、ひどく憂鬱だ。この苦しみは冗談やごまかしが通じない、対策行動をとらないと、いずれ絶対に耐えられなくなる。5kmウォーキングで治るかなと思ったけれど、ウォーキングが終わっても治らない。だんだんと楽にはなってきているが、ブログを書き始めた20:35現在、憂鬱がまだ続いている。調子が良いときは、うつ病のことは全く考えていない。自分がこんなにうつ病になりやすいくせに、あーだこーだいって、運動しないやつが悪いのだという批判的な意見をもつこともある。自分はそんなに軟弱じゃないって、強がっている。まあ強がらないやつなんていない。朝に弱い、でもこの時間に起きないと間に合わない、じゃあ頑張って起きよう。大丈夫、起きれるさみたいにね。強がることは普通のことだ。
自分はあれもできない、これもできない、あー弱い、じゃあ朝決められた時間になんて起きれっこない?どこかで、強がらないと、なにもできない。つらいときに、弱音を吐ける場所がないので、強がってしまう。「あんな資格、自分には取得できるまで努力できません」と人に弱音を吐いてしまうと、本当にそうなってしまいそうで、弱音を吐くことによって、ますます自分がつらくなってしまいそうで、ダメージを受けるのが辛くて、避けてしまっている。悩みをユーモアに転換するという上品な吐き方もできない。悩みを吐きたいけれど、どうやって吐いたらよいか分からない。だから「悩みを吐きたいけれど、吐けない」というのが正確だ。1ヶ月に1回、5分間だけなら、通院先の病院の主治医に言えば良いのだが、こちらとしても四六時中憂鬱だといわけでもないし、健康な日のほうが多いし、あまり本音をいうと、入院させられそうだし、結局病院も当たり障りのない悩み相談しかできない。入院だけは絶対に嫌だ。
ブログを書いていたら、憂鬱な気分がだいぶ楽になった。心療内科で問診を受けるときに、医師が、電子カルテにカタカタ入力しながら、問診を行うが、ブログを書くということは、自分で話して自分で自分の電子カルテを作っているようだ。自分が自分のカウンセラーになれば良いのだ。精神病は薬である程度良くなるらしいが、薬はあくまでも補助であって、薬によって満たされることはないということを自覚しつつ、ではなにによって自分は満たされるのか、探す日が続いていく。
2020/01/20 コミュ障はトレーニングをつめば、コミュ障から抜け出せるのではないか
社会復帰やコミュ力の訓練として考えれば
— ほっしーメモ@心が元気になるツイートまとめ (@hossymemo) January 20, 2020
レベル1:文字
レベル2:音声
レベル3:対面
ってイメージ。レベルが上がると経験値もたくさん入るけど、疲れやすいし怪我しやすい。
対面で話して盛り上がるって、無理じゃねって思ってたけど、自分には負荷が高すぎるようだ。負荷に応じたコミュニケーション手段の経験を積んでいけば、やがて対面で話が盛り上がることもできるようになるかもしれないという希望を持てたツイートがあった。このツイートでは、コミュニケーション手段を3レベルにまとめている。あー自分はコミュニケーションが苦手だなと思うのであれば、書くことを続けることで段々と上位のことができるようになるのではないか。コミュニケーション能力は、固定されたものではなくて、トレーニングを積めば、だれでも改善できるというものという、新しい視点が持てたのが良かった。
まあ、でもいったいどのぐらい文章をかけばレベルが上がっていくのか、はっきりと分かるものではないので、効果が分かるまで継続できるかというトレーニング共通の問いが重い。このブログを毎日書くということも、1ヶ月後も書き続けていられる自信はあるかと問われると、自信がない。しかし、自信などなくても良いとも思う。思いなんてどうでもいい。毎日コツコツ行動するだけだ。
論理力があれば、ボードゲームで自然とコミュニケーション能力も鍛えることができるが、ボードゲームの土台となる論理力が乏しいので、自己トレを繰り返していきたい。ブログを書くと、自分の悩みにこうやって対応していこうとか、考えがまとまっていくのが、今の所とても良い点だと感じている。ブログを書く前は、悩んでいただけで、じゃあどうすればいいのか、まったく思いつかなかった。思いつこうともしていなかった。思考が貧困状態で固定されていた。思考がまとまれば、選べる選択肢が増える。選べる選択肢が増えれば、組み合わせることによって、新しい解決方法が生み出せる。ブログを続けていこう。
2020/01/19 ストリートファイター5が上手くなることに意味があるのか
9時に一度起きたが、朝食を食べたあと寒くて、また布団の中に入ったら2度寝してしまった。起きたのは13時。起きたら、いつもどおりPCを立ち上げ、ストリートファイター5を起動する。勝ったり、負けたりしている過程で、失っていた感情が湧き上がる。「なにその連携」「いま投げ抜けボタン押してましたー」「ラグっ」「なにしていいかわからん」「この前ステは小パンではとめられませんー」「さあ択るぞ~」とか。ストリートファイター5が上手になっていくことによって得られるものはない、たかがゲームだと思っていたが、これ上達していけば配信のコメントでわからないところを聞いたり、共感したりして、同じ趣味で楽しみ合うことができる仲間ができるな…ということを発見した。依存や課金、浪費という負の面だけではなくて、仲間づくり、競い合う楽しみを味わうことができるという正の部分もあるのだ、ゲームをやることは人生の浪費ばかりではない。
本当は、論理力が求められるゲームが上達していって、ゲームをプレイすることで、論理力も上がるし、仲間もできれば言うことはないのだけれど、論理力が要求されるゲームは、論理力が低い自分には面白くない。将棋をやってみた。麻雀をやってみた。遊戯王をやってみた。マジック・ザ・ギャザリングをやってみた。よく分からない。分かりたいという気力が湧いてこない。面白くないから、続かない。だったら、自然と続けられることで無理なく仲間を作るという選択肢をとる。オンラインゲームを続けていけば、配信とか、動画投稿もやるようになるだろう。ゲームに使う時間を勉強に使えれば、さぞかし学力は上がり、人から一目置かれる日がぐっと近づくだろうが、トレーニングばかりできるほど自分は強くないので仕方がない。
自分の処理できる量があって、限界値がある。限界値ぎりぎりまで毎日やるなんてできっこない。限界値にまったく届かない、ちょっとしかリソースを使っていないのが毎日のほとんどだ。トレーニングが、基準値を超えている良いトレーニングだったかどうかは記録と結果によって分かる。まず、記録を毎日とることから初めて、徐々にスキルアップしていって、定期的にチェックしてみる。週毎月毎に、何kmウォーキングできたか、どれだけ勉強できたか、集計して集計結果を振り返ってみる。悩んでいる人は、自分の記録という人生のGPSを頼りに日々生きていったほうが良いとひきこもりの自分は思った。
ホワイトボックステストででてくる網羅の種類
- 命令網羅
if文の命令部分をすべて通ること
if (3 > 1) # ここ # puts "hello" else # こっちは処理がないので、通らなくて良い end
- 判定条件網羅(分岐網羅)
if文の判定条件部分をすべて通ること
if (3 > 1) # ここと # puts "hello" else # 処理がないけど、こっちも通る end
- 条件網羅
if文にtrue,falseという条件を通すこと
真偽値のことを"条件"と表現している
if( a or b) aがtrue,false bもtrue,false を実行する
- 複数条件網羅
ifのtrue,falseの組み合わせをすべて通すこと
if (a or b) true true true false false true false false true,falseのすべての組み合わせ4パターンを通す
2020/01/18 通院日
今日は精神科へ通院してきた。伝えたことは、食事を自分で作りたいということと、就労移行をやめたということ。高いLDLコレステロールと下痢の原因が家族が提供する食事だということが血液検査の結果はっきりと分かった。毎日、家庭から配給される食事には、野菜があまりにも不足していた。精神障害者なのに、野菜を食べないなんて、自傷行為だ。入院して、筋力が落ちた人ならなおさら、食事には気をつけないといけないのに、家族が好意で毎日だしてくれるものを断りづらかった。実際に言ってみたらすんなり通った。どうぞどうぞという感じであった。気持ちがだいぶ楽になった。
自分は他人にこうしてほしいと主張する力が弱い。力技で強引におい、やめろよっていえる精神力があるわけではないし、かといって、お互いの感情を逆立てないように交渉するなんていう方法も思いつかない。よく、ここは「はいわかりました。」って言っておけばスルーできるからいいやってなってしまう。交渉する力が弱いのは、IQが低いということ。IQの低さをあまり自覚して生きてこなかった。見えないようにしていた。自分が理解している自分は、補正がかかってパラメーターが実際よりも高く設定されていることが多い。それは、心の保護機能なのだろう。しかし自分も、昭和生まれ、如何に保護機能が自分のパラメータをマスクしようが、現実という鏡を通して、実際のパラメーターは分かってしまっているのであった。WAISでもIQ低めだと結果がでたわけだし。
いろいろなことができないと、この人はなーんにもできないと認定されてしまいそうになる。その強力な力に負けてしまいそうになる。IQが低くても、その場その場の対応で負けることが多くても、資格であったり、継続する力という強固な防御陣地を構築することによって、自分を守るのだ。自分の人生を豊かにしていくのだ。短距離では戦うと負けるので避けたほうが良い。戦うなら長距離だ。長距離は、ゆっくり走るほうが長い距離を走ることができる。実際に、走ってみると、体がいつもこのことを教えてくれる。体を鍛えると、こうしたほうが良い、ああしたほうが良いというフィードバックが返ってくるということは、自分の体を鍛えよう、自分と対話する時間を増やそうということだと思う。自分と対話するツールとして、瞑想とか、お経を唱え続けるとかで入っていける人は、そのツールを使えば良いと思う。自分は走ることでしか、自分が心開いてくれない。自分の中に入っていけない。